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多様な生きものがともに暮らすことで、
むくむくと育っていく豊かな森のように。さまざまな人や本が集まり、
創造力と想像力を育む場となることを願って
「こども本の森 遠野」はつくられました。一冊にじっくりと向き合う。
集まる人との出会いを楽しむ。
新しい世界に触れ、感じたことを発信する。訪れる人それぞれが、本のある空間を
思い思いの過ごし方で楽しむ文化施設です。
キャラクター
こども本の森 遠野になかまたちがやってきました
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- きれいな川に住んでいる。水の中では透明になり素早く泳ぐが、陸にあがると姿をあらわし2本の足で歩く。
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- 山奥に住んでいる。家族がたくさんいて、みんな山を守る仕事をしているが町に遊びに行くのも大好き。
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- みんなの幸せと平和を守るため日々パトロールしている。その見た目のせいで怖がられてしまうことがあるが、じつはとてもやさしい。
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- 明るく元気なみんなのアイドル。家々を訪ねて歌ったりダンスをするのが好き。それを見ると、たちまち幸せになると言われている。
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- 民話研究者。たくさんの本を読んだり、ひとから話を聞いては書き記している。鳥が登場する民話にはとくに興味がある。
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- じっと動かないことが多いが、たくさんの目で動物や景色を観察しているので、とてもものしり。
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- 寒い雪の日に山の向こうからやってくる。子どもがつくったかまくらが好きで、上手なかまくらに住みついてしまう。
安藤忠雄さんからのメッセージ
本館名誉館長 若竹千佐子さんからのメッセージ
- 本館名誉館長 若竹千佐子さん(遠野市出身 芥川賞受賞作家)
手を伸ばせばそこに本がある、子どもたちにとって何よりうれしいことに違いありません。遠野で生まれ育った私としてもありがたく心温まる出来事です。安藤忠雄先生に心からお礼申し上げます。
本を読むという営みは決して即効性のあるものでありません。山に降った雨が再び地表に滲み出し、流れを作りやがて川となり大地を潤すまで相当な時間を要するものと思います。本で得た知識と子どもたちの体験が混ざり合い、その子なりの新しい「本」が作り上げられるのです。
安藤先生が蒔かれただいじなタネを大切に育てましょう。そして待ちましょう。
次世代の子どもたちが創り出す遠野の文化を、新しい『遠野物語』を。
東日本大震災における遠野
- 献本活動のようす
明治三陸地震津波(1896年)、昭和三陸地震津波(1933年)など岩手沿岸部はこれまで多くの津波被害を受けてきました。
遠野市は内陸と沿岸の中間地点に位置し、過去の地震津波の際にも沿岸被災地の支援活動を行ってきた教訓から、被害に備えた体制の整備と大規模訓練を行っていました。
2011年3月11日の東日本大震災の発災後、遠野市は、官民一体となって、自衛隊・警察隊・消防隊・ボランティアの受け入れ、炊き出し活動、物資センターの運営などの沿岸被災地の後方支援活動を行いました。
また、被災資料の洗浄、修復を行った「文化財レスキュー」、全国から献本と募金を呼びかけて被災地に約20万冊の図書を届けた「献本活動」を展開し、文化による復興支援の活動も行いました。
こども本の森 遠野ができるまで
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- 7月
- 建築家の安藤忠雄氏から東北復興のシンボルとなる「こども向け本の施設」を文化による復興支援活動を行ってきた遠野市に寄贈したいとの提案を受ける
- 8月
- 安藤忠雄氏の講演会「遠野市から地方都市の可能性を考える」を開催
- 11月
- こども本の森構想推進準備室設置
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- 1月
- 有識者による「遠野市こども本の森構想懇談会」を設置(~令和3年3月 計4回開催)
- ワーキンググループメンバーで活用等について検討(~令和2年11月 計9回開催)
- 7月
- こども本の森 中之島(大阪市)視察
- 8月
- 安藤忠雄建築事務所と遠野市が施設の寄附に係る「覚書」締結
- 9月
- 市議会9月定例会「負担付きの寄附を受けることについて」議決
- 「旧三田屋(整備予定地)ありがとうの会」を開催
- 10月
- 全国から本を募集(~令和3年1月31日 約17,000冊寄贈)
- 施設整備着工
- 11月
- 「こども本の森 遠野」起工式
- 12月
- 市議会12月定例会「遠野市こども本の森遠野条例」議決
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- 1月
- こども本の森拠点整備室設置
- 2月
- 市民ワーキンググループ主催「こども本の森を考える会」開催
- 7月
- 「こども本の森 遠野」開館
三田屋について
- 呉服屋当時の三田屋
こども本の森 遠野は、遠野市中央通り・「旧三田屋」の跡地に建設されています。施設の外観は、三田屋創建当時を再現。梁や柱などの一部に、解体して出た部材を使用しています。
旧三田屋とは
明治33(1900)年に建築された「三田屋」は、かつて呉服店を営んでいた町家。閉店後も、地域住民の集会所的な場やイベント・ワークショップの会場など、多くの人が集まる交流拠点として利用されていました。